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リーラスペース |
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恩寵の扉が開くまで 完結編 |
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リトリートの感想 |
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1、「する」事から「在る」事へ
(4)新たな希望 再発した病気で動揺する姉と母の待つ実家に帰る度に、フーマンのセッションで明確になったはずの「本当の自己」が失なわれていくようで、私の内心は穏やかではなかった。 しかし、フーマンからのサジェスチョンのおかげでもう一度この道を歩む勇気と希望が湧いて来た。 フーマンからは、「『これ』はまだ成長過程の赤ん坊の様で、よちよちと歩き始めてもすぐに転ぶ。」と言われていた。 しかしハワイでの体験は非常に強烈かつ明確なものだったので、「もう2度と失う事はない」と自信を持って帰国したのだが…。 そして幸運にも、再び立ち上がる手がかりを得たのである。
リトリート(Retreat)とは隠遁とか引き蘢りを意味する。 この時は長野県の某所に文字通り一週間引き籠る、特別のリトリートを行った。 リトリートの3日目あたりから、ハートの奥深くが開いていく感覚も蘇った。 しかしこの時はハートの奥にある神聖な次元と繋がった感覚が、よりリアルなものになった。
ソロ・リトリート終了後、家に帰る途中にわざわざ伊勢神宮にまで出向いた。 そして、姉のために「ご祈祷」をあげてもらったのである。 それは、この「繋がった感覚」に導かれて、としか説明できない行動だった。 子供の頃から「仏ほっとけ、神かまうな!」という父の無神論的考えに共感していた私にとって、神社とは単なる文化遺産あるいは風光明媚な観光地でしかなかったのである。 そんな私が伊勢神宮に参拝をして、生まれて初めて「ご祈祷」まであげたのだから、これはもう青天の霹靂とも言える出来事だった。
それを象徴する出来事が、ソロ・リトリートを終えた私を待っていた。 日本を代表する宗教家の一人、故・五井昌久先生との出逢いである。 五井先生の教えについては、複数の友人を通して20年前からある程度の事は知っていた。
その教義に曰く。 『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、常に守護霊、守護神に守られている』
20年前にこの話を聞いた時は、そのあまりにもシンプルな教えに失笑して、私のマインドは「小学生レベル」だと判断した。 そして法話テープを聞き、その早口でまくしたてる様な話し方に辟易して「とても悟っているとは思えない」という結論を出し、すっかり忘却の彼方へと押しやっていた。 ところが、今回はその同じシンプルな教えの背後にある「なにか」に感動し、再び法話テープに耳を傾けてみると、神を知った者のみが持つ限りなく深い愛情と生きる喜びが伝わってきて、大いに感銘を受けたのである。
これは、もしかしたら瞑想には全く無関心だった姉や母も、五井先生の教えなら理解出来るのではないか? そう思った私は、さっそく母や姉に五井先生の教えを紹介してみると、とても強い関心を示した。 これまで私が学んで来た「瞑想」では全く埋まらなかった家族との溝が、劇的に少しずつ埋まり始めたのである。 そして家族との関係性にも、新たな希望の光が射して来た。
年が明けて2004年の春に、フーマンが予定通り再来日する事となった。 フーマンのイベント準備に追われて、再び慌ただしい毎日を過ごし始めた。 リトリートが始まるわずか3週間前の事である。 突然の連絡に驚いたが、予測不可能なフーマン・スタイルに慣れ始めた私は、大急ぎで航空チケットを手配しハワイへ飛んだ。 ハワイは観光のピークシーズンで滞在先の確保に苦労したが、フーマンに会える喜びに比べれば、全く問題ではなかった。 個人セッションの場所は前回と同じだった事もあり、半年前のセッションがつい先日の事の様に思い起こされて、不思議な感慨に浸った。
2、ハワイでの個人セッション(第3回)
1日目(2004年3月2日) (1)霊的なパワー
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