2、ハワイでの個人セッション(第1回)
2日目(2001年7月3日)
(7)純粋な主観の目覚め
フ:前回のセッション以降、中心が何処にもない体験、あるい は中心が外側のあらゆる場所に遍在するという体験はしたかな?
ほんの少しは・・?
キ:中心があらゆる場所にあるという体験は、難しくはないのですが、深さを体験できないのです。 エネルギーが現象世界の方に広がってしまう感じがして、、。これでいいのかどうか良く解りません。
フ:最初にマインドにワークし始め、マインドがオープンに、溶ける方向へと働きかけ始めた時は、マインドは外側に広がるから、そうなるのはしかたがない。
やがてマインドが落ちるにしたがい、深さの感覚が、より深いものとして戻ってくるだろう。 変容されるべきはマインドだ。 そのために、あなたはここにやって来た。 我々のワークは、段階(ステージ)を通っていく特徴がある。 だからそれぞれのステージにおいて、違った(スピリチュアルな)手術が行われる。 あなたのエッセンスに変わりはない。
しかしあなたのマインドと認識は、段階を追っていくにしたがい、だんだんと違ったものとなる。
あなたが全一になるために、多くの要素がワークされなければならない。
そうして初めて、完全に光明を得たビーイングが誕生する。
そこへ至るには、たくさんのステップを通っていく必要がある。 {しばらく間をおいたフーマンは、前回同様エネルギー的に働きかけ始めた。} フ:それでは、ただ内側に入って・・。 キ:目は閉じた方がいいでしょうか?
フ:あなたの楽な方で、どちらでもいい。
しばらく目を開けていて、後で目を閉じてもいい。 {やがて静かにゆっくりと、噛んで含める様に語り始めた。文章でサイレンスを表す事はできないが、実際には言葉より沈黙の時間の方が遙かに長かった。} ある人が、いる。
その人はある特定の形を持ち、キヨタカと呼ばれる名前を持っている。
この人は探求者だ。
そしてこの探求者は、彼の意志と集中力を使い、マインドの力を使って、プレゼンス(presence)と呼ばれる状態へ到達した。
このプレゼンスは、無意識と純粋意識の間にある扉だ。
ちょうど家の中へ入るためのドア、のようなものだ。
あなたのビーイングという家への扉だ。 プレゼンスを通って、あなたはリアリティの内的領域へと入っていく。
キヨタカがこのプレゼンスを通り抜けて、その中に入ると、キヨタカはいない。 純粋な主観( pure subjectivity)としてのプレゼンスだけがある。
純粋なI AMだ。
そしてこのI AMは、キヨタカが溶け去った時に、それ自身が目覚める。
なぜなら純粋なI AM、この純粋な主観は、普遍のI AMであり、個人ではないからだ。
それはあなたのマインドや思考を通して、全てを体験している体験の主体だ。
あなたはマインドに先だって存在している所へ行くので、キヨタカとマインドが落ちる。 あなたは、この体験の主体を通して体験する。
それは、純粋なI AMだ。
そこには実際に誰もいない。
そして中心もない。
そして気づきのプレゼンスは、あらゆる場所に遍在する。 そしてこれをビーイングと言い換えることができる。 だからあなたの今生の課題は、キヨタカを落とすということ、それがもの凄く重要だ。 マインドを落としなさい。
そして何が残るか、それを見いだしなさい。 「体験している人」を見いだしなさい。 しばらくの間、全てを忘れなさい。 ・・・・・。 いったい、何が残るだろうか?
認識する事すらなしで、、。 ・・・・・。 その残るもの、それが純粋なI AMだ。 あなたの中の質問の全て、答えの全て、、あらゆる過去と未来の全て、、、。 それらはすべてマインドのものだが・・・。 それらが落ちて溶け去る。 するとそこには何も残らない。 真実のプレゼンス以外は・・。 リアリティ(実在)だ。 あなたの転生が始まる以前は、これ(This)だけが、存在する全てだった。 このまさに私(Me)は非常に透明なので、そこにすらない。
あなたが、これ(This)に、この純粋な主観性に、普遍のI AMへと変容されるためには、、あなたは死ななければならない。
レットゴー(手放し)しなければならない。 そしてそこから再誕生されるもの、それが変容されたビーイングだ。 キヨタカがいない時、無心(ノーマインド)があり、必要なものは何もない。 平和だけがある。 ビーイングの平和、あるいは只管打坐(しかんたざ)・・。 ただ坐り・・何もしない・・・。 ただ在って・・消え去る・・・空へ・・・・。 よりあなたが消え去るたびに、よりあなたのマインドは落ちる。 するとそれは、光り輝き、軽やかになる。 そして、I AMの光が広がり、新しい在り方でより深まる。
そしてだんだんと、あなたは下へ向かって引き込まれる力を感じ始める。
その力は、マインドが落ちた時にのみ感じられるものだ。
そこに誰もいない時、絶対状態(absolute)のドアが開く。 そしてあなたは、深い寛ぎ、純粋な寛ぎを感じる。
それは、キヨタカが寛いでいるのとは違う。 ただの寛ぎそのもの・・・平和そのもの・・・。 {かなりの長時間、沈黙だけがあり、エネルギー的にワークをしてもらった。目を閉じていたのでよく解らないが、肉体ではない部分に働きかけているようだった。 フーマンと一緒に沈黙していると、全く努力なしに、ノーマインドのスペースにただ在るということが容易にできた。)
(8)ワンネスの始まり
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