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2、ハワイでの個人セッション(第1回)

  

 2日目(2001年7月3日)

 

(1)マインドを落とす

 

{最初のセッションから数日後に2度目のセッションを受ける事になった。その間、フーマンに言われた「ただ在る」という事に専念するようにした。しかし「中心を手放す」と言う理屈はよく解るのだが、具体的に中心のない体験とは稀薄で茫漠とした感じで、実際に瞑想が上手くいっているのかどうかよくわからないというのが正直な所だった。}

 


フーマン:その後、どうだった?

 

キヨタカ:「中心を手放しなさい」と言う意味は理解できます。しかし現状では、私のマインドはまだまだ活発で消え去る感じが全くありません。

マインドがまだ活発な理由は、私の I AMの光が弱いからだと思うんです。

もっとアジズに言われた修業を徹底して、より私が自分の I AMに中心を定めれば、 私のI AMの光が強まって、その結果としてマインドが消え去ると思うのです。

だから私は、もっと私のI AMに中心を定める修業を続けるべきではないでしょうか?

 

しかしあなたはその反対に、「中心を手放すように」とサジェスチョンしています。

まだ私のIAMの光が弱くて、自分のマインドが消えない今の段階において、「中心を手放す」というのは時期早尚なんじゃないでしょうか?

 

それから、もう一つ質問が、、。

 

フ:好きなだけ質問してかまわないよ。

 

キ:私が中心を手放すと、確かに私の中心は宇宙全体に広がりますが、なんだかその体験が表面的な感じがするのです。

私にとっては、もっと自分の中心をしっかり定める方が、より深く入る感じがします。

ステート オブ プレゼンスをビーイングへと手放す事で、より深く「今」へ入っていけるのではないでしょうか?

 

ところでちょっと確かめたい事があるのですが、、、。

「ここ」と言うのは、まだ現象世界の事ですよね?

 

フ:そうだ。

 

キ:「今」と言うのは、その現象世界を超えた次元、あるいはそのバックグラウンドですよね。

 

フ:イエス。

 

キ:「ここ」とは、水平な次元ですね?

 

フ:その通り。

 

キ:「今」とは、垂直な次元ですね?

 

フ:正しい。

 

キ:この「今」という「垂直な次元」にチューニングを合わせると、中心を自分自身の内側に強く感じるのです。

 

フ:その通りだ。

 

キ:でも中心を手放すと、注意が分散して全体には広がりますが、私が表面的な感じで「今」という深さ、あるいは「垂直なリアリティー」を失う感じがするのです。

いったい何が、上手く行っていないのでしょう。

 

フ:オーケー、なかなかいい質問だ。



キ:アジズによると、最初にステート オブ プレゼンスを明確にして、次にこの「今」に、つまり「垂直なリアリティ」に手放す事をします。
だから、私の次のステップは、「今」に入る事だと認識しているのですが、、。

 

フ:まさにその事をあなたはやっているのだ。

 

キ:もし本当にそうしているのだとすれば、私はより深く「垂直なリアリティー」に入っていけるはずでしょう?
そして私の中心は、より確固たるものになると思うんです。

 

フ:でも、ちょっと待ちなさい。

あなたの話はいつも、「私の」中心とか「私の」I AMと言い続けているだろう?
あなたは、いつでも「キヨタカ」について語り続けている。

 

キ:ま、そういえば確かに、、。

 

フ:しかしこのスピリチュアルな旅の全体は、キヨタカが消え去って、「今」へと溶け去るという事なのだ。

あなたの旅は、キヨタカがもっと、もっと、もっと、もっと受け取って、ついにキヨタカが光明を受け取るという事ではない。

そうではなく、キヨタカが、光明の状態へ溶け去る旅なのだ。

キヨタカの死、なのだ。

 

 

キ:・・・・。

 


フ:しかし、私たちの示す道はこうだ。

まず最初に、中心を与える事から始める。
マインドの中心を確立する事から始めるのだ。

通常のマインドは無意識で、ただ外側にだけ向かう。だからこの道の最初のステージでは、全てのエネルギーを内側に向けて、 I AMという感覚に集中させる。

あなたがI AMについて話すときに、実際に感じているエネルギーがそれだ

 

最初のステップでは、マインドの全てのエネルギーを、 I AMという感覚に集中させる事で、マインドのエネルギーの全てを、偏向させる。
調和を保ちつつ、一つのエネルギーに集約するのだ。

 

しかしながら、このエネルギーはまだマインドのものであり、マインドに繋がっている。

だんだんと、このエネルギーを「今」へと広げていく必要がある。

そして実際には、「今」とは単なる垂直なものではない。
それは垂直に始まるが、「今」とは広がりでもある。

遍在する気づきの事だ。
気づきはあらゆる所に遍在している。

それはあなたの内側だけとか外側だけにあるものではない。
それは内と外、両方にある。

 

だからここでのワークは、あなたがすでに始めているワークとは非常に違った観点に働きかけている。

私はあなたのマインドの変容に働きかけている。

あなたの、境地(states)は同じままに留まる。
あなたは、プレゼンスを、I AMという感覚を体験するだろう。

しかしあなたのマインドは強いので、そのマインドをどんどんと溶かしていかなければならない。

そうする事で、新しい在り方で、このI AMという感覚へ戻り、統合する事ができるだろう。

 


あなたは、絶対状態(absolute state)を感じるとき、どこか中心がずっと下にある様に感じている。
しかし実際には中心はあらゆる場所に遍在している。


 

{いわゆるハラに収束していくエネルギーとして、中心を捉えていたのだが、そうではないと言う。}


 

源泉へ再び戻るのだ。
それだけが本当の「今」であり、本当の深さだ。

その事に関して、私はちょっとばかり先の方へあなたを連れて行こうとしているようだ。
しかし、それもこの旅の一部なのだ。

 

アジズは、全員に対してステート オブ プレゼンスのワークをしている。

私は基本的に全員にはワークせずに、プレゼンスを確立した人に対して、働きかける。

 

あなたがいったんプレゼンスを確立したら、それが実際には広がっている所へと導く事ができる。

そして、マインドをノーマインドの境地へともたらす。

 

ノーマインドであると同時にプレゼンスや観照を保ち、同時に深さを持つ。

その境地は、キヨタカからの自由という事だ。

 


キ:このワークは、絶対状態(absolute state)に入る事と同じですか?


 

フ:絶対状態( the Absolute State)や透明な私(Transparent Me)と非常に似ている。


そして本にはそれ程書かれていない事だが、あの本でスタートした事を補完する意味がある。

 

瞑想を通して様々な境地に到達しても、到達した本人のマインドがまだ強く残っている事を我々は見てきた。

だから、マインドをノーマインドへ変容させることがとても大切だ。

アジズによって示されたワークを補完する必要があり、私はマインドの変容そのもに働きかける。

たとえどんなに瞑想の境地を深く体験しても、探求者のマインドが変容されない限り、彼は苦しむことになる。

例えば、Xの場合・・。


 

{フーマンは私の良く知っている人物を例に出して、具体的に説明を始めた。詳細は割愛する。}

 

・・・私が見る限り、彼は非常に深い瞑想体験をしている。彼のI AMの体験はかなり深いものだ。

しかし、彼のマインドは絶えず苦悩を創りだしている。

たとえどんな素晴らしい境地に達しても、彼の探求者としてのマインドが変容されなければならない。

彼は、まだ様々な境地をいつも探し続けている。彼はストップしなければならない。

 

文字通り、彼が「落ちる」必要がある。
そうでない限り、自由もないし解放もない。

だから彼にとっては、プレゼンスのワークは最初のステップだ。
彼だけではなく、ここに来る人々はほぼ全員がそうだ。

しかし、ワークの最も重要な要素は、マインドだ。

 

どんなマスターでもいいから、彼らの教えをよく見るといい。
彼らはいったい何を話しているのだろう?

悟りとは、すべからくマインドを超えるという事についてだ。
つまり、ノーマインドの事であり、あなたのマインドを落とすという事だ。
あなたが自分の事をキヨタカであると考えている、あなたの感覚そのものが落ちる。


 

{フーマンの話を聞きながら、「心身脱落」という道元禅師の有名な言葉を思い出した。まさに道元が言わんとしている事をフーマンは語る。真実に時間の隔たりはない。
道元は次のように述べている。

仏道を習うというは、自己を習うなり
自己を習うというは、自己を忘るるなり

自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり

・・・

自己をはこびて万法を修証するを迷いとす
万法すすみて自己を修証するは悟りなり

           ・・・(道元著「正法眼蔵」より)}



 

それこそが「悟り」であり、絶対的な目覚めだ。
そこへ到達するために、プレゼンスの道を歩み、I AMを体験する。

しかし、徐々にあなたのI AMはシフトして、「普遍のI AM」 へともっともっと広がって行く。

それは、個としてのマインドが開いて、落ちて初めて起こる事だ。
するとあなたのプレゼンス、そしてI AMという感覚が広がる。

 

このワークは全て、「今」へ、「普遍のI AM」へ広がる事に関わっている。

それは純粋な主体性に関わる事だ。
キヨタカというマインドに先立って存在する、「体験の主体」が目覚める。
その体験は、キヨタカではない。

 

あなたが今体験しているプレゼンスあるいはI AMの感覚は、ちょうど次のステージあるいは最終ステージにかかる「橋」の様だ。
その「橋」を渡った先とは、「普遍のI AM」へ溶け去る事だ。
基本的に、ノーマインドとなる事だ。

 

そうなっても、知性や洞察は非常に良く機能する。
ただ探求者としてのマインドが溶け去るのだ。

だからこれは、全員に当てはまるワークではなく、より上級者向けのワークだ。



アジズはプレゼンスに働きかけるが、私はマインドの変容に働きかける。

 

我々のあらゆる問題の根本原因は、マインドにある。

セックスが根本の問題ではない。
根本の問題は、お金でも欲望でもない。
全ての問題は、マインドから生ずる。

性欲はマインドからやってくる。
どん欲さもマインドからだ。
全ての問題、あらゆる苦悩はマインドからやってくる。

探求者が求める根本は、マインドからの超越だ。

私の言わんとする事は、解るだろう?

 

 

今、あなたのプレゼンスあるいはI AMの感覚はとても強力でがっしりしている。
それに留まる事に問題はない。
しかしながらそれに付け加えて、マインドの変容に働きかける必要がある。


自分がキヨタカである、と考えている精神構造そのものを変容させるのだ。


ここにいる間、あなたのマインドをオープンにして、あなたのI AMという感覚を、「普遍のI AM」へと広がり溶け去る事に働きかけよう。

 

そうする事で、あなたの体験する深さは、さらに深いものになっていく。
なぜなら、キヨタカという境界がもはや消え失せるからだ。

 

キヨタカとは、貝殻あるいは壁のようなものだ。

キヨタカが体験している I AMやプレゼンスという感覚は、貝殻のようなもので、まもなくその殻を落として究極の自由を、究極の悟りを得る必要がある。

 

あなたが体験している「垂直な今」は、シンプルにあなたの手によるものではない。

その「垂直な今」は、いつでも存在している。
あなたが、I AMに目覚めると、ただちにその「垂直な今」を体験し始める。

よりあなたが消えれば、「この垂直な今」は、開き、広がり、深まる。
そしてその深さは、計り知れない。

 

あなたにとって一番の問題は、マインドの根の部分が消え去る必要があるという事だ。

マインドの根の部分こそが、あなたを何度も何度も肉体に転生させているものだ。

その根っこが消え去ったとき、理解は純粋なものとなる。

あなたが理解すべき事はすべて、ダイレクトに理解できるようになる。

 

 

そして、マインドの中のあなたという要素が消え去ると、あなたは自分自身がキヨタカであるとは認識しなくなる。


なぜなら、キヨタカとは幻想だ!


キヨタカとは個人的なエネルギーであるが、そうではない「普遍のI AM」は透明な私、真実の私だ。

ブッダとしての私(Me)は、透明だ。

 

 

キ:あなたの「中心は何処にある?」という質問に対して、「中心はどこにもない」と答えている人は、透明な私(Transparent Me)なのですか?


 

フ:その通り、それが誕生の始まりだ。

あなたがより深く内側に入ると、あなたは「普遍のI AM」を体験するが、それこそが真のI AMであり最愛なるもの(Beloved)そのものだ。


 

{フーマンはハートの深奥で繋がる神の領域の事を、Beloved=最愛なるもの、と表現している}


 

それは全てに先立って存在する。

これこそが主体であり、純粋な主体だ。


あなたは、今、自分の中心を落とす事はできない。

私だけが、あなたのために落とす事ができる。

たとえあなたが自分で落とそうとしてもできない。

「あなたがあなたを落とす」事は、不可能だ。




{「私だけが落とすことができる。」というフーマンの断定的な口調は、最初はちょっと抵抗があった。しかしフーマンが私という時、そこにエゴはなく、Thisのみが存在する。
ちなみにこういった断定的な口調は、キリストやブッダ等の聖典にもよく見受けられるが、「私が道である」とか「天上天下、唯我独尊」という言葉も、私=Thisとして捉えると率直に理解できる。}




しかしあなたはここにやって来た。

シンプルに、私はあなたの中心を取り去り、それを広げよう。

すると、あなたのI AMの感覚が広がる。
もはや、ここにはなくなり、全体に、普遍のI AMへ広がる。

そしてあなたの、まさに私(Me)が透明になる。
だからこのワークは、ステート オブ プレゼンスのワークを補完するものだ。


 

キ:今は絶対状態(absolute state)にワークする必要はないのですか?

 

フ:今は必要ない。
とにかく、マインドをもっともっと落としなさい。
そしてあなたの境地に溶け去るのだ。

今は、ステート オブ プレゼンスと、それを体験している私=キヨタカとなっている。
その体験者であるキヨタカが、その境地に溶け去らねばならない。
内的な爆発が起こり、「普遍のI AM」 へと広がる必要があるのだ。

 

つまり、あなたが消え去るのだ。

 

マインドとあなたの境地が同じになるとき、それがノーマインドの状態だ。
そうすれば、絶対状態という深みがひとりでに開いていく。


そして、 I AMの光がより輝く。


あなたがただ、内的境地のみを保つワークのみをしていると、マインドとその境地が溶け合うのに、非常に多くの歳月がかかるだろう。

我々は、それを加速化する。

 

「あなたの問題はマインドだ」と私が言うとき、そのマインドとは単なる思考(thinking)の事ではない。

それはマインドの根っこに相当するもので、カルマとして絶えず輪廻転生を繰り返す部分の事だ。


 

キ:それは潜在意識も含むのですね?


 

フ:私の言うマインドとは、潜在意識、無意識、そして全て蓄積されている過去のエネルギーの集積を指し示す。


マインドが溶け去ると、自由の感覚が起こる。

なぜなら、あなたの私(Me)がもっともっと広がり、I AMの感覚がより深く、より高く、より広大なものになる。

人格としてのキヨタカがより少なくなればなる程、非個人的なI AMが手に入る様になる。

 

今は、あなたのI AMはほとんどキヨタカの人格と同じだ。
それが広がると、より非個人的なものになる。

そのときにのみ、とてつもない平和を見いだすだろう。
なぜなら、もう境界がないからだ。

あなたと、「普遍のI AM」が完全に一つとなるのだ。

 

2日目(2001年7月3日)

(2)瞑想とダイエットについて