アジズとの対話
個人面談第一回(1999年12月20日)
最初の目覚め ~純粋な私(Me)の発見~
アジズ:何処から始めようか?
キヨタカ:ええと、私はあなたの事を全く知りません。昨日ウラスからあなたの事を聞いて、興味本位であなたの瞑想会に出てみて、ちょっと座ったのですが、とってもいい感じがしました。あなたが本当に目覚めているかどうか確信はないけど、何か喚起を呼び覚ますものがあり、個人セッションを受けてみようと思いました。 今日聞きたいのは、自分の魂がどこにあってどのステージにいるのか、そして何が自分にとって正しい瞑想なのか知りたいのですが、、。
ア:オーケー。まず瞑想の実践についてはっきりさせよう。最初の目覚め、最初の悟りは、気づきを対象物なしに認識する事と関係している。自己認識あるいは観照意識とも言われる。マインドには通常センターがなく、たんなる思考の動きであって、いろいろな印象を受け取りいろいろな方向に動き続ける。マインドは、物事を見たり識別したり分析したりという機能だ、、。
キ:ちょっと待って下さい。そういった理論に関しては、私は全て学びました。
ア:オーケー、でも説明を続けさせてくれ。目覚めの中で初めてマインドにはセンターがあるという事を発見する。
キ:目覚めというのは?
ア:マインドにはセンターがあるという事を発見する事だ。 すなわちマインドの中に私(Me)がある、それぞれの思考それぞれの感情の背景に私(Me)があるという事だ。だからこそあなたは自分は考えているという事を知る。なぜならそれが私(Me)に属するからだ。ガールフレンドに関する思考は私(Me)と関係している。あした何をしようかという思考も私(Me)関係している。それぞれの思考は私(Me)と関係している。しかしこの私(Me)というものが認識されなくなって、思考に同一化してしまっている。 だからこの私(Me)というものをマインドの内容、マインドの動きから分離する事が必要だ。そして本当の純粋な私(Me)を発見する。それがアートマン(真我)という事だ。 これが最初の目覚めだ。純粋な私(Me)を発見する事だ。次のステップはそれを絶えずキープする事、決してそれを失わない様にする事だ。
今、私(Me)は何処にある?
キ:いま言った私(Me)を発見するという事は、自分にとってそれ程難しいとは思えないのですが、、。なぜなら全ては今、ここにあるから。悟った人はみんな口を揃えていいます。悟りはあまり簡単だから人々は見失い、目覚めを逃し続けていると。もしそうだとしたら、私にとって目覚める事がどうしてこんなにも難しいのでしょう?
ア:なぜならそれは簡単ではないからだ。今、私(Me)は何処にある?今、誰があなたの目を通して私(アジズ)を見ているのか?
キ:誰がですって?
ア:誰があなたの目を通して私を見ているのか? あなたの目の後ろにある人は誰か?
キ:意識です。
ア:その意識を感じるかな?
キ:、、、そう思うけど?
ア:どう感じる?
キ:、、え~と。
ア:意識とはたんに概念だ。でも誰が本当に見ているのか?
キ:私はそれを表現する事ができません。マインドを使わねばならないから。
ア:オーケー、でもそれを感じるかな?私を見ている誰かを。それは単にマインドではなく、その中にたしかに誰かがいる。
キ:、、、、、。
ア:それを感じるためには、注意を後ろ側にもっていかねばならない。それは頭の内側の体験だから。後ろにいかねばならない。あたかも後ろを見るかのごとく。あなたの頭蓋骨の後ろを見ていると想像してごらん。 どの様に観ている人を観るか。それがポイントだ。あなたはたくさんの物を観る。でも観る人を観る事が出来るかな?
キ:私が観る人を観ようとすると、私の思考はストップします。
ア:オーケー。では内側に存在する人は誰か?
キ:、、、。
ア:息をすって呼吸を止めてごらん。そうしてあたまの内側に存在してごらん。
キ:、、、。
ア:誰かがそこに存在している。この誰かが私(Me)だ。それが気づきのセンターだ。意識のセンターだ。その意識のセンターが観ているのだが、通常はそのセンターがセンターそれ自身に気づいていない。あなたの頭をカメラに例えよう。あなたと言うカメラは周囲の全てを写す。しかしカメラのセンター自身は観ていない。カメラのセンターを認識してカメラのセンターそのものになる事が根本的な事だ。それがマインドからの解放をもたらす。そうしない限り、マインドがら解放される事はあり得ない。 我々は絶えず考え、考え、考えている。例えこのマインドを100年間見続けても、マントラを100年間唱えてもあなたはこのマインドを変える事は出来ない。同じマインドだ。 しかしあなたが私(Me)として内側に存在すれば、マインドはストップする。 これを私は、ステート オブ プレゼンス(State of Presence)と呼ぶ。注意が注意自身に気付いている状態、観照意識、気づきそのもの、対象物のない気づきという事だ。